正岡子規は、慶応3年(1867年)松山藩士の家に生まれ、34歳11ヶ月の若さで亡くなった文学者です。俳句に興味を持った子規は俳句革新に乗り出し、物事を見たままありのままに表現しようとする写生の手法を俳句に取り入れました。その後も短歌の革新や、文章にも写生の重要性を説くなど、わかりやすく親しみやすい「新しい文学」の確立に力を注ぎました。
また、子規は、松山に野球を伝えた人物でもあります。上京してベースボールの面白さを知った子規は、第一高等中学校に通っていた明治22年の夏、友人の弟であった河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)にバットとボールの使い方を教えたのが、松山にベースボールが伝わった最初であると言われています。